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2016/03/01

近鉄ライナーズ・前田監督が今期限りでの退任を発表

Liners0123_ballずっと応援してきたラグビートップリーグ・近鉄ライナーズの前田監督が退任されることになりました。
2月29日に近鉄ライナーズから今年度の退部選手・退任スタッフについて発表がある中で、監督人事にも言及されていたのです。

2015年度 退部選手・退任スタッフおよび新監督就任について(近鉄ライナーズ)

公式サイトに、前田監督からの退任メッセージがありました。一部抜粋します。

前田監督からの退任メッセージ(近鉄ライナーズ トライナーDiary)

公式戦15年ぶりにサントリーからの勝利。史上初の延長サドンデスでの勝利。等など、そのシーズンごとに出会いと別れが有り、喜怒哀楽がありました。どのシーンも貴重な体験でしたし、気づきと感謝の連続でした。それもこれもチームが存在し、そこに集う選手やスタッフそしてファン、家族、サポートいただいた関係者の方々のお蔭様で得られたものでした。ご関係くださったすべての方々やモノ、全てに感謝です。近鉄ライナーズコーチとして2年、そして監督として5年、合計7年間のお力添えに感謝です。本当にありがとうございました。

今後の役割や任務は未定ですが、どのような立場となれど、近鉄ライナーズが更なる発展の為に微力ながら尽力できればと思っております。

トップリーグに復帰したあとを引き継いだ5年間、山あり谷ありだったと思いますが、本当に本当にお疲れさまでした。特に今シーズンはワクワクする試合をたくさん見せていただけたのがとてもうれしかったです。「近鉄、やればできるじゃん!」と。

実は今期最終戦となった1月の瑞穂の試合、天候に不安もあって見に行こうかどうか少し迷ったのですが、5年目ということはもしかしたらこれが前田監督の最後の公式戦になるかもしれない、という気がして、見に行っておかないと後悔する、そう思い足を運んだのでした。その予感は当たっていたのですね。寒さを気にせず瑞穂に行き、勝利試合を見て前田監督ご本人とお話しできて本当によかったです。

選手時代から約20年間ずっと応援してきた身としては、きっとこのあとも何かの形で近鉄、いや、ラグビー界全体のために何か関わってくれるだろうと勝手に期待しています。たとえば「中竹組」と言われる早稲田の同期では、20歳以下(U20)日本代表監督の中竹竜二さん、15人制女子ラグビー日本代表監督の有水剛志さんなど、まさにリーダーとして活躍されています。そういう表に見える形であってもなくても、日本のラグビーがさらに進化するプロセスを支える存在としてきっといてくれる。そう願っています。

そして、近鉄ライナーズ、来期は坪井新監督の元、さらなる躍進をめざしてくれるものと期待しています。引き続き応援します。

関連エントリ:
近鉄・前田隆介くんについて
(2005/01/12)

「小さな巨人」前田隆介 FOREVER(2005/04/24)

前田隆介さんが近鉄ライナーズのヘッドコーチに就任(2011/02/03)

LIXIL CUP 2016 7位決定戦・近鉄対NTTコミュニケーションズはトップリーグ史上初のサドンデス決着(2016/01/25)

村田亙ファンの集い(2008/06/29)

会場からのQ&Aタイムで「同じスクラムハーフで当たるといやだった人は?」という質問に、まず出た名前は現立正大学監督の堀越氏でしたが、「他にいやだったのは、近鉄にいた前田隆介選手ですね。」と前田くんの名前を。「とにかくタックルがすごくて、僕がボールをパスしたあとは必ずタックルに入られました。」と。村田さんにもこんな風に評価されていたなんて、前田ファンとしてはうれしい限り。って一体誰のファンの集いに行ってるのやら。

参考リンク:
小さな巨人(ラグビー愛好日記)

小さくても身体を張る選手が好きだ。スクラムハーフでいえば、最近では辻高志選手と、前田隆介選手である。きのう電車の中でラグマガ5月号を読んでいて泣きそうになった。相変わらず単細胞である。

近鉄ライナーズを引退した前田選手の記事を読んでいてのことだった。前田選手は、天理、早稲田、近鉄と進んだ。どのチームも体格の小さなチームだったので、FW戦で圧倒されることも多かった。僕は高校時代から前田選手のプレーを見ていたが、そのなかで、彼はいつもビッグタックルを決め、素速いパス捌きでチームを勇気づけていた。公称160㎝だが、実際にはもっと小さく見える。

スクラムハーフは、FWが獲得したボールをさばくのが普通だが、前田選手の場合は劣勢の試合が多かったので、FWより先にポイントに駆けつけて相手FWとボールを奪い合い、上体の強さでこれをもぎ取ってパスするという離れ業も見せてくれた。優勝争いするようなチームにいたら、日本代表に定着しただろう…っていうことは言っちゃいけないんだろうな。きっと、近鉄だったからこそ彼の持ち味が生きたんだろうしね。

膝の怪我が引退を早めた。身体を張ったからこそ怪我も多かったのだ。「命をかけた戦いにだましだまし出るわけにはいかない」というコメントは泣かせる。

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