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2016/03/05

BOOK 「気仙沼ニッティング物語―いいものを編む会社―」 御手洗珠子著

気仙沼ニッティング物語:いいものを編む会社東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼。そこで手編みのセーターをつくる会社をつくった御手洗珠子さん著の「気仙沼ニッティング物語:いいものを編む会社」を読みました。

気仙沼ニッティングという会社があるらしい、ということは耳にしていました。その社長が若い女性で、以前ブータンにいらした方だということも。正直「気仙沼」と「手編みニット」が結びつくようなつかないような、なぜ気仙沼でニットだったのだろう、そんなもやもやを持って読み始めました。

ブータンで知った東日本大震災。ちょうど契約更新の時期を迎えて、彼女は日本に帰って震災からの復興支援に携わる道を選びます。とはいえすぐには「これだ」というものをみつけられず、ボランティアなどしているうちに糸井重里さんから「手編みの会社やらない?」と声をかけられたのがきっかけだったとのこと。

それから彼女はニットの島・イギリスのアラン島に取材に行き、気仙沼の斉吉商店さんに下宿し、少しずつ様子を見て仲間を増やしながら「じっくり続く、この土地ならではの事業」としての手編みニットの会社を立ち上げようとします。

印象に残ったことを箇条書きで。

・気仙沼は、遠洋漁業で意外とグローバルな街。
・漁師のおかみさんと編み物は深い縁があった。
・編み手さんの高いプロ意識。
・震災取材についての違和感。

特に、最後の震災取材について。3月11日が近づくと、在京の放送局や新聞社がやってきては、「流された家の前でうつむいてください」といった取材依頼が来るとのこと。現地の人たちが今どういう思いで生きているかということよりも、自分たちの描く「被災者」ストーリーにあてはまる絵面と言葉を求められる取材に、受けるのをやめたそうです。

こういう話は震災直後から何度も同様のことを他で聞いています。読む方だって、少なくとも私はそんな「つくられた」ストーリーなんか全く求めていないのに、どうしてずっと繰り返されるのでしょうか。

印象的だったのは、御手洗さんが講演会で聞いた虎屋の黒川社長とエルメスの齋藤副社長の言葉。共通して「100年先を考えた経営」「売れるものをつくらない」ということを言われていたそうなのです。

じっくりと編み物を編むように、地道にたしかに「編み物の会社」をつくりあげた話。丁寧に読ませていただきました。

気仙沼ニッティングはメモリーズという店舗を持っています(場所はこちら)。また、気仙沼には、渡辺謙さんがオーナーのカフェ「K-port」もあります。折りを見てどちらも訪問してみたいと思う一冊でした。

新潮社の内容紹介より。

震災後の気仙沼で編み物会社を起業! 「地方」だからこそ、できること。

被災地への最大の貢献は仕事を生み出し、生活の循環を取り戻すこと。マッキンゼーを経てブータンの公務員、そして今度は気仙沼へ。傷跡がまだ残る現地に単身入った著者が、下宿しながら起業した会社は、初年度から黒字となり、市に納税を果たすまでに。編み物で「世界のKESENNUMA」を目指し、毎日てんやわんや奮闘中!

ここからは余談です。
ずっとニットの話を読んでたら、自分が遠い昔に手編みをしていた時のことを思いだしました。好きな音楽を聞きながらこたつに入って編み棒をかちかち合わせていたあの頃。当時好きだったひとに手編みのセーターを編んだりしていたのです。何枚か編んだものは全部プレゼントにしてしまいましたが、一枚だけ自分用に編んだものが今もタンスの奥に残っていて、懐かしくなって引っ張りだしてみました。

Handknitting_sweater

編み地のアップ。表編み、裏編み、ゴム編み、縄編み…。よくまあこんな複雑なものを根気強く編んでいたものです。好みのデザインが載ってる編み物の本を買ってきて、記号通り黙々と取り組んでいました。

Handknitting_sweater_up

でも編んでるときは楽しくて、その時の静かな気持ちを、「気仙沼ニッティング物語」を読みながら思いだしたり。もちろんニッティングの編み手さんたちはお金をいただく商品を編んでるので、緊張感は桁違いだろうと思いますが。

参考リンク:
気仙沼ニッティングの御手洗瑞子さんに聞く、ある東北の働きかた(ハフィントンポスト)

「ちゃんと良いものを作り、編み手さんにも給料払い、納税もします。自分たちが信じられる品質の毛糸をつくり、デザインは三國万里子さんにお願いし、しっかりと編み手さんの練習をする。やるべきことをちゃんとやって、その上で『このセーターは、こうやってつくられました』ということを、正直にお客さんにも話しています」

そのため、開発した毛糸がいつもより弱く出来上がってきたときには、売上が落ちることになっても、「一生ものとは言えない」と思い、その毛糸を使わなかったという。

「その弱い毛糸で編んでしまったものは、編み手さんには賃金を払ったんですが、商品としては出しませんでした。『一生もの』と自信を持ってお客さまに出すことができないと思って。日ごろから、編み手さんたちが何十時間かけて編んだものでも、ちょっとでもサイズが違ったら全部ほどきます。自信を持って出せるものしか出さない。そういう地道なことの繰り返しです」

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