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2006/12/02

木下順二さんの訃報と「夕鶴」の思い出

「夕鶴」の作者としてあまりにも有名な劇作家・木下順二さんの訃報がありました。

劇作家の木下順二さん死去 「夕鶴」「子午線の祀り」(asahi.com:2006/11/30)

 「夕鶴」「オットーと呼ばれる日本人」「子午線の祀(まつ)り」など、戦後を代表する戯曲を送り出した劇作家の木下順二(きのした・じゅんじ)さんが、10月30日に病気で死去したことが、29日に分かった。92歳だった。

 民話劇の無垢(むく)な魂をうたい、戦争責任と人間のモラルを厳しく問い、天空から人の営みと運命を見つめる壮大な叙事詩劇に到達した、戦後新劇の良心だった。

 1914年、東京・本郷の生まれ。少年時代から旧制高校までを熊本で過ごした。東京大学英文科卒。戦争中に「彦市ばなし」などの民話劇を書き始め、そのうちの一編「鶴女房」が戦後改稿されて「夕鶴」となった。

 49年に女優の山本安英さん主演で「ぶどうの会」が初演したこの作品は、86年まで全国で1037回上演された。


山本安英さんの「つう」は残念ながら観ることができませんでしたが、オペラの「夕鶴」は中学生の時に観ました。

じぃやんにきせるふとぬうの
ばぁやんにきせるふとぬうの
ちんからかん とんとんとん
ちんからかんから とんとんとん

こんな子どもたちの唄で始まる舞台。

そして、実は、「夕鶴」は私が中学校の演劇部で初めて舞台に立った戯曲だったのです。
ただし、役は「子どもたち」の一人。前述の曲が流れたあと「おばさーん、おばさーん、うたうとうてけ~れ」とみんなで唄いながらの登場です。
中学校の演劇部は私が入学した年にできて、文化祭での初めての上演がこの「夕鶴」でした。当然つうや与ひょう、惣どに運ずなどのメインキャストは3年生が演じました。で、1年生の私たちはその他大勢の「子どもたち」。
ただ、私は他の「子どもたち」に比べるとちょっとだけ「いい役」だったのです。

ラスト、つうが鶴になって「さようなら・・・さようなら・・・本当にさよなら」と去ったあと、与ひょうが呆然としているところに子どもたちがいつものように遊んでもらおうとやってきます。
子どもたちに「つうは、行ってしもうた」と与ひょうが言うと、突然一人の子どもが空を指さして
「あっ!鶴だ!鶴だ!鶴が飛んでいる!」
と叫びます。
その子ども役が、私がいただいた役でした。
声が大きくてよく通ったためか、入り込みやすいところを買われてか、理由はわかりませんが顧問の先生がご指名下さったのです。正直うれしかったですね。
ただ、その舞台の後しばらくはクラスの男子から「あっ!鶴だ!」と言ってはからかわれましたが。まったくあの年代の男子って奴は。

そんな思い出のある「夕鶴」など、時代を創った劇作家がまた一人去ってしまいました。
お悔やみ申し上げます。

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