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2005/10/31

PLAY 「胎内」(青山円形劇場)

観終わった後、何とも不思議な感覚の残る舞台だった。
現実のような、夢の続きのような。
救いのないような、希望があるような。
暗がりのような、光り輝く空間のような。
一言で「こういう作品」と言い切れない。「胎内」は私にとってそんな舞台だった。

ここ最近は能楽鑑賞が続いたが、久し振りの現代劇「胎内」(青山円形劇場+ゴーチ・ブラザーズ共同プロデュース公演)を観る。
奥菜恵・長塚圭史・伊達暁という気鋭の俳優陣に、鈴木勝秀の演出。(昨年同じ青山円形劇場で観た「ママが私に言ったこと」の演出もスズカツさんだったことをパンフレットを見て気付いた)

舞台は敗戦間もなくの日本。長野あたりの山中。訳ありそうな男と女の二人組が偶然入り込んだ防空壕跡。
そしてそこには一人の男が先客としていた。戦中に兵士としてその防空壕を堀り、戦後生活を立て直すことができず家族を捨て、かつて自分が掘った穴に戻ってきていた。
追手をやりすごすだけのつもりだったのが、突然の地震で閉じ込められ、出口が見つからないまま3人は極限に追い込まれていく。

言葉づかいが妙に古めかしく、かえってそれが力強く新鮮に感じられたりしたが、古めかしくて当然で、これは三好十郎という作家が56年前に書いた脚本なのだ。
パンフレットにある台詞の抜粋を読むと、戯曲然とした言葉が並んでいる。カタカナと漢字とひらがなが混じるやや理屈走った固い文章。これを生身の人間の言葉として再現するのは少々骨が折れると同時に、とても楽しいやりがいのある作業だっただろうなあ、と思う。
俳優達はそこで生きる人間として、時にぐらつき時に強がり、弱り、悟りながら、しっかりと存在していた。

死と再生。絶望と希望。諦念を通り越したところにある崇高な愛情。
死に向かう人達を描いているようで、実はそこからの「再生」を描いているように感じた。

初めて見た長塚圭史はとても舞台映えのする人だった(頭小さい!すごいプロポーション)。
奥菜恵はいろんなものを見てしまった「女」を好演。伊達暁は華を感じる役者さん。

何だか、とても久し振りに「日本語で演じられた」芝居を観た、そんな気がした2時間強だった。

悲しい火だるま―評伝・三好十郎
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