近鉄・前田隆介くんについて
話は1994年の春に遡ります。
当時ラグビー観戦初心者の私は、シーズン前に「オープン戦」なるものがあるという情報を入手し、まずは有名チームの早稲田の試合を観に行ってみようか、ということで、友人に声をかけて連れて行ってもらったのです。当時早稲田のグラウンドは東伏見で、椅子も何もないグラウンドに観に行った私は当時からどうやら酔狂だったようで。
相手は大東文化大学。そして早稲田はAチーム、Bチーム共に大東にボロ負けでした。
当時は負けると「シボリ」と呼ばれる罰ランニングをすることになっていたらしく、試合後選手たちはグラウンドを延々とぐるぐる回って走り続けているのですが、負けてとぼとぼと走る選手が大半を占める中、一人一生懸命先頭を走り続ける小さい選手がいます。それが前田隆介くんでした。当時二年生。
彼のそのひたむきな姿に心から感動して、以後私は彼を熱烈に応援するようになったのです。
二年生の時の宿沢監督は月田くん(現リコー)の方を取り立てていたようで、前田くんはリザーブでしたが、三年生の時の監督はタックルする選手を起用する木本さん。めでたくレギュラーに定着しました。
95年に新潟で開催された早稲田対慶應のオープン戦終了後の懇親会に飛び込みで参加する機会をもらい、そこで前田くんと初めて対面。二次会にご一緒することができて、なぜラグビーを始めたのか、どんなプレイを目指しているのかなどラグビー談義であっと言う間に時間が過ぎてしまって。ちょうどラグビーワールドカップ開催時期で、ラグビーショップの2Fにあるパブで飲んでいて、南アフリカとフランスの試合をTVで見ようと待っていたのに、さんざん待ったあげく雨で試合延伸となってしまったことを覚えています。
その年の早明戦は山本肇の感動の逆転トライで勝利。ただただ、涙、涙。
翌年中竹キャプテン率いる中竹組の副将として活躍。早明戦では勝てず、大学選手権の雪辱もならず準優勝。私にとっての「ノーサイド」でした。
卒業後近鉄に就職した彼を引き続き応援し、年に一度は花園へ。
花園で、秩父宮で、試合終了後時々声をかけると、さすがに向こうも顔を覚えてくれてるようで、少し話ができるのがささやかな、でも何よりの楽しみで。
本当は、ジャパンとして、桜のジャージを着た彼を見るのが夢でした。残念ながらかないませんでしたが(A1はありましたが)。スクラムハーフ、層が厚いんですよね。くやしいことに。
彼のすばらしさはその骨惜しみないプレイ。自分より20~30センチ大きな相手に対しても向かっていくひたむきなタックル(明治(現クボタ)の赤塚選手を一発で倒した見事なタックルは今でも忘れられません)、キックに対する鋭いチャージ(チャージからのトライは彼の得意技で、テレビ番組で紹介された事も)、タックルして、倒して、また走ってタックルして、その繰り返し。本当にすばらしいです。あまりにもひたむきにボールを追いかけるものだから、時々大きな選手たちに巻き込まれてノーハ(ノーハーフ:スクラムハーフが動けなくなって球だしできなくなること)になるのもご愛嬌。
あと、試合時にグラウンドに入る時と出る時には必ず一礼すること。ラグビーに対する真摯な姿勢がとてもうれしいじゃないですか。
前田くんも今年31歳。これまでいろいろと怪我もしてきて、正直現役を続けてくれるかどうかとても不安。
彼の熱いプレイに励まされてきた私としては、勝手とは知りつつももう少し彼のプレイを観続けたいというのが本音。もちろん無理はしないでほしいけど。
これからも応援し続けます。彼がプレイを続ける限り、最後の一人になっても私はずっと見守り続けます。ずっと。
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