« 29manさん、日経新聞に登場 | トップページ | 極私的「ねこめし」考 »

2005/01/18

生まれてきてよかった、と思いたい

子どもの虐待、摂食障害、親子関係、依存症、etc。そういうキーワードを目にすると、どうしても関心がひかれ、関連した内容の記事やニュースがあるとつい読んでしまう。
なぜなのか、理由は自分でわかっている。
私自身が家族関係に悩み、アダルト・チルドレンとしてカウンセリングを受けていたことがあるからだ。

アダルト・チルドレンとは何か。まずは定義を少々引用する。
「機能不全家族のもとで育ち、大人になった人」(齋藤学著「アダルト・チルドレンと家族」学陽書房 より)
「現在の生きづらさが親との関係に起因すると自ら認めた人のこと」(信田さよ子著「愛情という名の支配」新潮OH!文庫より)

この言葉を初めて見たのは、朝日新聞の記事だった記憶がある。
上述の定義に近い内容が書かれていて、それまでいろんなところで「何か自分はおかしい」と思っていた私に、そう、そうなんだよ、これなんだよ、と納得できるものが初めて目の前に現れたと思った。

この概念が正しいとか正しくないとかという議論はここではおいておきたい。
少なくとも私はこの概念と出会って、自分の生きづらさの理由の一端をつかむことができ、そこからの回復に向けて努力する気になったのだから。

とにかく人との関係でかなり苦労してきた。自分に自信が持てず、Noが言えない。だけどいやだという感情は残るから、突然大きなエネルギーになってそれが爆発する。何かうまくいかないことがあると自分が責められているように感じて苦しむ。自分がここにいることが本当にいいのか、わからない。他人にとって必要ない存在なんじゃないかと不安でたまらない。受け入れられている感じが持てず、不安のあまり自分と相手を責める。おそらくその結果のひとつが別記事で書いた婚約破棄だ。
端から見ると、ふだんは優等生的な「いい子」なのに、突然とんでもない形で調和を破る、理解しにくい存在だったと思う。

その原因はおそらくは親との関係なんだろう、とぼんやりと感じていたところへの記事だった。こういうアプローチを手がかりにすることができるんだ、と思い、道が開けたような気がした。

ここでポイントになるのはあくまで「関係」に「起因」するということ。過去に積み重ねられた行為一つ一つをあげつらい、謝罪を求めるのが主旨ではない。関係の中で形成され、環境に適応するために身につけた意識・行動のパターンが、環境が変わった今も変えることができず、現在の生きづらさの原因になっている、という考え方なのだ。
自分にはどういうパターンがあるのか、なぜそういうパターンが身についたのか、それは本当に変えられないものなのか。どういう風に変えられそうか。
それを一つ一つ検証していく作業は決して楽なものではなく、一人でやりきるには苦しすぎる。専門家の援助があるにこしたことはない。

ただし、新聞記事を読んですぐにカウンセリングを受けたわけではない。
どこに行けばいいかわからなかった、仕事が忙しかった、など理由はいろいろあるが、今から思うとカウンセリングによって何かが変わることに恐れがあったというのが正直なところだと思う。このままではつらい、でもどう変わるかわからないのがこわい。そういう理由で二の足を踏んでいた。

その後人間関係でのっぴきならない状況になり(その詳細はここでは割愛させていただくが)、親しい人と自分を、これ以上傷つけなくて済むように、自分が抱えている苦しさを専門家に話すことで、何か変わることができないだろうか、そう思い、調べて アダルト・チルドレンや依存症を多く取り扱っていそうなところを選んで申し込みをした。

初めてのカウンセリングに緊張しながら通い始めたが、すぐに自分が本当に抱えていることを話せたわけではない。目の前で起きている「問題」について、まずは話すわけだ。それは決してウソではないのだが、何か表面だけをなぞっているような気がして、面談が終わったあともどこかすっきりとしない。
ようやく「核心」に触れる話ができたのは、三回目の面接。

簡単な生育暦や家族構成などは初回の面接で説明してあったが、そこで話しきれなかった幼いころの話、その後の家族の話などをひとしきりしたあと、カウンセラーから「眠っている間に、あなたの抱えている悩みがすべて解決するという奇跡がおきたとして、朝起きてまず何でそれに気付くと思いますか」という質問をされる。
しばらく考え込んで、そして浮かんだ言葉。

「父親から電話がかかってきて、『今まで悪かった』と言ってくれること」

「その言葉を聞いて、あなたはどう思いますか?」

「・・・・・・生まれてきてよかったんだ、って思います」

自分で口にしながら、涙が止まらなかった。自分の言葉がショックだった。

「生まれてきてよかった」と実感できなかったこと。
それが私の苦しみの根元。
ここまで戻らないと、私の心の空白は埋まらないのか。うすうす感じてはいたけれど。

その後カウンセラーとカウンセリングを今後どうやっていこう、という相談をし、個別の面談に加えて「心理劇(サイコ・ドラマ)」というグループワークに参加することにした。サイコ・ドラマとは本の説明によると「いろんな役割を演技しながら、これまでの自分の人生の物語をもう一度たどり直し、演技をして得られる幸福な体験が、変わらずにある苦しい現実を変える力になる」というもの。演劇部員だった私にはまったく違和感はないやり方だった。

三回でワンセットのサイコ・ドラマのセッションに参加してみて、私はよかったと思っている。物語の中での「体験」で、「自分の大切なものを守るために、きっぱりと、さわやかに『No』を言われる」ことが、私に大きな衝撃を与えた。
そうしても、いいんだ、そうやってNoを言われることは決して不愉快でもなく、傷つけるわけでもないんだ、そしてそうやって自分を守ってもいいんだ、ということが実感できた。
何をそんな当たり前のことを、と思う方もいるかもしれないが、当時の私にとってはそれは「当たり前」ではなかったのだ。

その後面談を二カ月に一回のペースで1年半近く続け、ひとまず自分でやっていってみようと思えたところで終了した。
その間には、仕事で自分が認めてもらえていることを率直に受け入れたり、過去をふり返って自分が他人に受け入れられていた、大切にされていたことをもう一度認識し直したり、といったことを少しずつやっていったりもした。

「生まれてきてよかった」と今なら思えるのか、と聞かれたら、多少は思えるようになったのかもしれない、というのが答え。
長年身についてきた意識や行動のパターンは、そう簡単には抜けないけれども、少なくとも「あ、こんなに苦しいのはもしかしていつものパターンが出ている?」と気づくことはできるようになっているのだから、少しでも変えていくことはできるはず。
そう思えるだけでも格段の進歩なのだと感じる。
それから、過去をたどりながら、決して「ひとり」ではないと思えるようになったこと。

生きづらさは完全に消えたわけではなく、困ったパターンたちもふとした拍子に顔を出してくることもあるが、螺旋階段のように少しずつゆっくりと回復していければ、と今は思う。
そして何より、もう一人で切羽詰まったりしない。それが最大の進歩。

|

« 29manさん、日経新聞に登場 | トップページ | 極私的「ねこめし」考 »

「心と体」カテゴリの記事

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

くりおねさん、こんにちわ、

私も今日親と自分との関係について感じるところがありました。ひとの言葉を借りてしまいますが、瞬間「あたたかいものがながれる」のを感じたように思いました。

投稿: ひでき | 2005/01/18 14:01

生まれてきてよかったと思える日は私にもくるのだろうか…

背景は違うのですが、くりおねさんの状態(行動様式)があまりに私のそれに近く、自分の状態を言い当てられたかのようでした。カウンセラーにこのエントリを示してのカウンセリングを受けています。

ただ私の場合は宗教まで絡んで非常に厄介なことになっています。神から苛められている、棄てられる宿命にある、そう定められて私は創られた、それなら「生まれてこなければよかった、流産、せめて死産にでもなっていれば(聖書から)」、と。教会とは絶縁しましたが、こうでも考えない今の自分を説明できないのです。私が「The Depressionist」になったのも、信仰生活と現実に引き裂かれてのことでしたので…

立体的な興味の海を、対象への愛をもって(これすごく感じます)目を輝かせながら漂う中で、ふと自らの心の闇も吐露するくりおねさんは、とても魅力的な方だと思います(カウンセラーもそういっていました)。時折登場するパートナーとの間も(もちろん夫婦となればいろいろあるのだとは思いますが)とても幸せそうで、毒男としてはそういうところもあこがれてしまいますね。まさにブログの妖精です。(クリオネが「流氷の妖精」ですから。とてもふさわしいハンドルです。)

今回のエントリが、私にとっても状況改善のきっかけになればと願っています。なりそうなきがします。ありがとうございました。

(何度書いて何度消してしまったことか…)

投稿: The Depr. | 2005/01/29 20:58

>The Depr.さん
こんにちは。コメントをありがとうございます。

背景は違うけれども、私がエントリに書いた状態とご自身との共通点が驚くほど多いと思われたのですね。それはカウンセラーの方にこのエントリを示されるくらい「そのまんま」と感じられたのですね。

私の場合と違って、The Depr.さんの場合は宗教との関わりというとても大きな問題も抱えられている中、状況の改善に向けて歩みを進めようとする勇気を、私は素晴らしいと思います。

時々思うのですが、「生まれてきてよかったと思う」ために頑張るというよりは、ふと気づいたら「生まれてきてよかったかもしれない」と思えていた、なんてのもいいのかなあ、と。自分に鞭打つのではなく、ほんの少しずつでも自分のことを「そんなに悪くないじゃない」と思えるところを見つけながら。少しずつ、少しずつ。ゆるゆると。

私の書いたエントリが何かの形でお役に立つきっかけになればうれしいです。

また遊びに来てくださいね。

投稿: くりおね | 2005/01/30 23:42

> ふと気づいたら「生まれてきてよかったかもしれない」と思えていた

そう思えればいいかなあ…
確かにそうなんですけど、今は…

とにかくまずは「神の存在」から解放されたいなぁ。でも、少しずつ、少しずつ、ゆるゆると。時間はかかるでしょうね。幼稚園から31年半通い続けたものですから。

でも、不惑にまた一歩近づいた(^^;誕生日になってわかったのですが、祝ってくれる人がいないなあと、ほんのりさびしくなるぐらいなので、生まれた日を無茶苦茶呪っているわけでもなさそうです。こういうポイントの日は自分を見つめるきっかけになりますね。
===
やり取りご覧になっているかもしれませんが、くりおねさんのブログ友達さんから、厳しいネット切断勧告を受けました。確かにそのほうが私の治療上はいいようです。くりおねさんにも妙なコメントをしてご迷惑になるといけませんので、完全切断まではしないまでも、ネットは生活ツール(ネット購買と実務連絡限定)とし、掲示板や個人サイトの閲覧等は今回を最後にしたいと思います。

優しいアドバイス、ありがとうございました。

投稿: The Depr. | 2005/02/06 16:53

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14483/2597538

この記事へのトラックバック一覧です: 生まれてきてよかった、と思いたい:

« 29manさん、日経新聞に登場 | トップページ | 極私的「ねこめし」考 »