BOOK 「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」 江國香織
「ビラブド・ワイフ」という言葉が、この物語の中に出てくる。
外国映画や小説で女性が死んだ時、お墓に刻まれる言葉らしい。愛された妻にしてよき母、などと。
ここに出てくるのは、“beloved wife”を巡るいろんな女たち。
一見申し分ない“beloved wife”である女、“beloved wife”でいたかった女、“beloved wife”ではいられないと自覚した女、疑いなく“beloved wife”である女、“beloved wife”になりたかった女、“beloved wife”を憎む女。そして彼女たちを取り巻く男たち。
5組の夫婦と4人の女性、そして1人の男性が、時には直接出会い関係し、時にはお互いそれと意識することなくどこかですれ違う。
おそらくは東京の広尾を中心とした街で物語は進んでいく。
物語の軸になるのは恋物語だが、ずっと響き続けるのは「孤独」だ。
夫婦でいるからこそ気づいてしまう孤独。その孤独をあえて一人で引き受けて立ち向かおうとするのか、目をそらし続けるのか、自分の中に取り込みながら誰かの手を借りて共存しようとするのか。
主人公・陶子のこの言葉がとても印象に残っている。
会いたいとか触りたいとかそばにいたいとか、相手に必要とされると私は欲望を押さえられない。もっと必要とされたい欲望、すっかり奪われたい欲望だ。
それにしてもこの男のこれは私の身体の空間にぴったりだ、と、信じられない嬉しさでそう思う。ちょうどぴったりの大きさにふくらんで収まっている。一分の隙もない。それはすばらしいことだった。単純に、すばらしいことだった。
夫が作ったガラスの壁に包まれたような生活の中で、自分でもそれを確信犯的に半ば楽しみながら、それでも自分自身を愚直に求めてくれる相手に対して彼女は無防備になってしまう。
そして「一分の隙もなくぴったり」であるそのことで、彼女には充分なのだ。何ひとつ余分はなく、ただぴったりとひとつになれる、すばらしい瞬間。
私自身も、「必要とされると、もっと必要とされたい欲望を抑えられない」人間だから、必要とされることの甘美さはひしひしと実感できてしまう。それはまるでシャンパンをたっぷり含ませた生チョコのように、たまらなくあまやかな誘惑で、とても抗いきれないものなのだ。
どうしたって消すことのできない孤独を抱えながら、最後の最後にビラブドワイフでいられる、そんな関係はどうすればできるものなのか。ささやかでいい、幸せでありたい、ただそれだけのことなのに、人間同志というのはなんて複雑なものなのか。
終わりが透けて見える情事を当面は抱えながら、陶子ははたしてどんな結末を迎えるのか、この本の中では示されてはいない。
すべてのbeloved wivesとbeloved husbandsに、この物語を。
集英社 (2003/06)
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